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南相馬:2011/06(震災から100日目)
2011年6月18日-3月11日の東日本大震災から100日目。 南相馬:栄町商店街さんが毎月第3土曜日に実施している「栄町ナイトばざーる」が開催されました。 3月11日の地震・津波に加え、福島第一原発の放射能が加わり 6月18日現在、南相馬市の中には、計画的避難区域・緊急時避難準備区域・その区域外の地域があり 栄町商店街は、緊急時避難準備地域内にあります。 震災から100日目。南相馬を行き、商店街さんの様子・南相馬の現状を伺いました。 理事長殿から「今の現状をホームページに載せて欲しい」とお話いただき 私なりに感じた事を含めてレポートさせていただきます。 report by AFRO DIRECTORS
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震災前まで南相馬に行くには、電車であれば常磐線、車ではあれば常磐自動車道で向かっていました。
常磐線も常磐自動車道も運休・通行止めになっているため、南相馬に向かうには東北自動車道の二本松IC(福島松川PAのETC専用IC)から県道を通り、川俣町・飯館村を越えて南相馬市に入らなければなりません。
商店街さんは「南相馬は陸の孤島」になってしまっているので、いわき方面は難しいとしても、仙台方面からのアクセスなどを整備しなければとお話されていました。
南相馬に向かう道のり・南相馬市の中に入っても、目立った地震の被害は見えません。
というよりも、(津波の被害があったところを除き)まったく被害がないと言えました。
商店街さんに伺ったところ、原町区の地盤は固いので、家が崩れたところなどはなく、屋根の瓦が崩れた程度の被害しかなかったとのことです。
震災前とまったく変わらない風景がそこにはありました。 震災前とまったく変わらない商店街さんの風景の中に、違ったところがあります。
それは、シャッターを閉めるレールが、営業中ですがそれを設置したままになっています。
南相馬市原町区:栄町商店街さんの区域は、緊急時避難準備区域に指定されています。
福島原発で何かが起こった際には、避難をしなければならない地域。
万が一の時に備えて、シャッターをすぐに閉められるようにしているためです。
商店街さんの車で、津波の被害のあった地域に連れて行っていただきました。
被害のあった地域になるまでは、まったくいままでと変わらない風景ですが、そこから何もない一変した風景に変わりました。
原町区島崎地区・大内地区は、多くの家が津波の被害に遭い
相馬双葉漁協の船が2キロ以上、海からある国道6号線付近まで流されてしまい
100日経った今も、そのままの状態になっています。
がれきの撤去・道路の整備などは
自衛隊のみなさん、警察のみなさん、ボランティアのみなさんのお力で震災から100日経ち、整備されたところですが、 これからどうするのか、どうやって復興に向けて動き出すのかというには、 まだまだまだまだ時間が必要であると思いました。
地震・津波に加えて放射能の問題がある南相馬市。
津波の被害のなかった地域でも、今の時期になっても稲を植えて水がひいてある田んぼはありませんでした。
緊急時避難準備区域内には仮設住宅も建設出来ない事もあり、仮設住宅の建設も、30kmを越えるところで実施しているとのことです。
南相馬市:栄町商店街さんの「栄町ナイトばざーる」は毎月第3土曜日に開催されています。
震災後の3月はお休みしていましたが、2011年4月からナイトばさーるを再開!
商店街のみなさんが作る焼そば・焼き鳥・産地直送のお野菜などを販売し、南相馬に戻ってきた方(6割程度だそうです)や車で通る方に楽しんでいただいていました。
また、みなみそうまさいがいFMも開設(運営主体が栄町商店街です)
午前9時、午後1時、午後5時から約60分間の放送しています。
商店街さん(南相馬市)に掲示されているのぼり
人間復興・ふるさと再生
「ありがとうからはじめよう」
自衛隊・警察・ボランティアのみなさんの力によって、地域の整備をしていただいた事に感謝し、南相馬を復興させていこうという思いから 「ありがとうからはじめよう」というのぼりを作成したとのことです。
震災の状況についての報道が日が経つにつれ、少なくなっていっています。
震災から100日経った今、南相馬の現状は、まだ100日しか経ってなく、これから復興・再生までまだまだ時間が必要である事を感じました。
現状を伺い、何も言えなくなりましたが、 復興に向けて動き出している商店街さんをはじめ、南相馬の方たちの力になれる事をもっと考えて、動いていかなければと思いました。
栄町商店街さんに伺った際に、理事長殿から「今の現状をホームページに載せて欲しい」とお話いただき、私なりに感じた事を含めてレポートさせていただきました。
2011年:相馬野馬追も規模を縮小して実施することになり、 雲雀ヶ原祭場地での甲冑競馬・神旗争奪戦は行わない事になりました。
南相馬の復興のシンボルとして早くいつもの相馬野馬追が開催される日が来るためにも、南相馬が放射能の心配なく、元の原町に復興するためにも、私たちが出来る事をしていかなければならないと思います。
大地が揺れ、海が黒い壁になった「3・11」 この日から「福島」が「フクシマ」になり、「南相馬市」は「ミナミソウマ」に。 あの平和な日常の原町が消えてしまった。 平成23年3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とする観測史上最大のマグニチュード9.0の激震が東日本を襲いました。そして、時をおかずに想像を絶する規模の大津波が南相馬市を含む太平洋側の海岸に押し寄せ、人を町を原発を飲み込みました。南相馬市だけで死者、約1000名。 終息の見えない原発事故の放射能汚染により南相馬市は、警戒地域、緊急時避難区域に線引きされ、健康の影響、農作物への風評被害と心配ばかりが重くのしかかっています。避難も余儀なくされた市民と企業、人口も半分の35,000人位となりました。誰もが、心の中で叫び、泣きました。しかし、食べ物も、痛みも人は分かち合い、見ず知らずの人の運命に涙しました。 人は人を思ってこそ人間なのです。 私達商人にできることは、何か。笑顔で店を開けることでした。 この原点を忘れず実行したのが「ニューさいとう」さんです。 商品調達も困難を極める中、市内で唯一店を開け、お客様のために奔走しました。 栄町の誇れる店舗だと思います。 また「栄町ナイトばざーる」も20年目、233回続けていましたが初めて3月は断念しました。 悔しくて、残念でなりませんでした。 東日本大震災が余りにも大きく、振り返る余裕もなく組合員の協力の下、よく頑張ってくれていると思います。 商店街として南相馬市の復旧、復興に少しでも役立っていければと思います。 今後ともご協力よろしくお願い申し上げます。 2011.06
栄町商店街振興組合 理事長 片山 高明 |