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南相馬:2013/12(震災から1017日目)
2013年12月21日 南相馬:栄町商店街さんが毎月第3土曜日に実施している「栄町ナイトばざーる」が開催されました。 先にこちらでレポートを書かせていただいてから丸2年。 相馬野馬追を見に行ったので、1年半ぶりの南相馬でした。 震災から1000日が過ぎました。 今の南相馬について、私なりに感じた事を含めてレポートさせていただきます。 report by AFRO DIRECTORS
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毎月第3土曜に開催されている「南相馬:栄町商店街 栄町ナイトばざーる」
震災後の4月以降、毎月第3土曜日に開催している「栄町ナイトばざーる」
12月開催では、 先着20名様に「お正月わ飾り5本組」がふるまわれました。
わ飾りは、太田玩具店の太田庄市さん手造りのわら細工で、青わらにおへいそくと昆布が付いています。
開始14時には、あいにく雨がぱらつく中でしたが、会場のニューさいとうさんに沢山の方にお越しいただき大盛況!
栄町商店街のみなさんにも久々お会いしましたが、みなさん元気でお客様を喜ばせていらっしゃいました!
災からまもなく3年経つ南相馬市原町区。
復興に向けて宮城・岩手に比べて速度は遅いかもしれないですが、南相馬も復興に向けて動きだしている事は感じられました。
1年半ぶりに行った南相馬でまず感じたことは、人が動いている事。
買い物に出かけるクルマや人を多く見ました。
お店も震災直後よりもかなり多くなりましたし、みなさんの表情もよかったです。
とはいえ、商店街さんが実施した調査では、小学生が避難後、南相馬に戻ってきているのはほぼ半数。
半数は避難先にそのままという状況だそうです。
人とのつながりを改めて強く強く感じた震災。
その想いを商店街さんだけでなく、地域の方とつながっていく動きを出していくなど
南相馬で安心して生活が出来るようにと動き出していらっしゃいます。
南相馬から川俣・福島までの急行バスが運行されていたり、常磐自動車道も隣の相馬までですが開通。
JR常磐線も相馬まで部分復旧。
いわき方面への再開はかなり厳しいと思うので、仙台・福島方面へのインフラの整備が早く完成する事が望まれます。
栄町商店街さんから3~4キロ:いわき方面に国道6号線を進むと、福島原発から20キロの地点。
2013年春までは、ここまでしか入る事が出来ませんでしたが、避難区域の再編があったため、浪江まで許可証がなくても行けるようになりました。
避難指示区域
放射線量に応じて、帰還困難区域、居住制限区域及び避難指示解除準備区域に分かれています。
居住制限区域及び避難指示解除準備区域については、立入自由ですが、宿泊することはできません。
帰還困難区域については、原則、立入できません。
以前は、東京からいわきを通過して国道6号線で浪江・小高を通って南相馬に来ていました。
現在も南相馬へのアクセスは、東北自動車道:二本松インターチェンジもしくは福島松川PAのETC専用インターチェンジから、県道を通り、川俣町・飯館村を越えて南相馬市に入る事になります。
今年2013年から立ち入りが出来るようになった小高・浪江まで足を延ばしてみました。
国道6号線から、浪江駅に入る交差点(知命寺交差点)の現在の風景です。
浪江にあったお店の看板は、そのまま。
建物のそのままでした。なんら変わらないまま。
しかし、国道6号線から駅方面には警察官がたっており、立ち入りが規制されていました。
もちろん、お店はやっていません。
人も警察官以外、いません。
でも何も変わらない風景。
ショックでした。
2013年春まで立ち入り出来ないエリアだったということもあるからか、浪江町&小高町の風景は、震災から1000日経った今でも、時が止まったようでした。
他地域では撤去されている全壊・半壊の家・お店も手つかず。
クルマが横転したままで放置されているところもありました。
また海沿いの国道6号線まで、野生の猿が現れていました。
時が止まっていました。
写真を撮るのも辞めて戻りたくなりましたが・・・今を伝える事が出来ればと思い車を降りました。
野良猫が遠くから私の事を眺めていました。
南相馬市小高区の国道6号線沿いにある「サテライトかしま」の看板。
3月のまま・・・
3年前のままなのだと思います。
風景からも時が止まってると感じましたが、この看板でよりその事を感じました。
南相馬原町・鹿島区の以前行った箇所を再び訪れました。
全壊・半壊していた家の取り壊しがされていました。
波の力で曲がってしまっていた橋げたも修復され、陸に乗り上げていた漁船も撤去されるなど撤去・整備が進み始めていました。
眺めとしては、より何もなくなっているし、何も変わっているようには思えるかもしれませんが、私は浪江・小高の状況を見た事もあるかもしれないですが、本当に少しずつでも復興に向かっていると感じました。
地震・津波発生後に、新聞社さんの空撮の写真で、球場全体に海水・がれきが流れ込んできていた「みちのく鹿島球場」
2年前と変わらずスコアボードをはじめ、両翼のポールなどがそのままありました。
みちのく鹿島球場の周りに半壊で残されていた家も撤去されたことで、よりこの野球場が目立つ感じでした。
この球場の隣に慰霊碑が建てられていました。
2011年は縮小開催になってしまいましたが、2012年から復活した「相馬野馬追(そうまのまおい)」
その会場、雲雀ヶ原祭場地に行きました。
その内馬場では、子供たちがサッカーをやっていました。
線量が多いから・・・と言ってた頃を思い出しました。
津波の被害のあった地域以外は、本当に前と変わらない南相馬。
放射能の影響がかなり言われていた時期がありましたが、この風景からも復興に向けて、地元の方が前に前に進んでいる事を感じる事が出来ました。
南相馬市:栄町商店街:片山理事長と、お忙しい中、沢山お話させていただきました。
これから栄町商店街として地元の方と共に、南相馬のために様々な動きを進めていらっしゃいます。
非常に楽しみな話でした!
復興に向けて動き出している商店街さんをはじめ南相馬のみなさんがいます。
私が出来る事。
私達が出来る事。
改めて、私が出来る事でサポート出来ればと思っております。
お忙しい中、お時間いただき&沢山美味しいものいただきありがとうございました!
東日本大震災において南相馬市は、地震、津波によって県内では一番多くの尊い命が奪われました。 さらに原子力災害により、警戒区域、計画的避難準備区域、緊急時避難準備区域と地域が分断され、多くの住民(事業主も含む)が避難となり、一時、市内はゴーストタウンとなりました。 その後の避難解除にもかかわらず、中心商店街の休廃業は多く、再開店舗も定休日の増加・営業時間短縮などを余儀なくされており完全再開には程遠い状態で、商店街は衰退の一途をたどっています。 なかでも栄町地区は、原発災害前と比較すると、大半の店舗は、売上が激減し、経営がたちいかなくなるのは明白で、商店街存立があやぶまれていることが緊急の課題となってのしかかっています。 さらに南相馬市は、原発20㎞圏の小高区、浪江町、双葉町、飯舘村を商圏として、多くの取引先を有していましたが、失った商圏はそのままで、再生復興の見通しはなく、長期化するばかりとなっています。 事故発生より1000日が経過した現在でも、放射能不安から多くの市民が他地域へ避難したままで、人口も71,000人から約50,000人に減少した状態が続いています。 特に小学校では、在籍予定数の48%、中学校では56%の帰還に留まっています。 一方では、南相馬市復興計画に基づき、隣接する大町地区に災害公営住宅200戸の早期整備が計画され、合わせて広域避難事業者向けの事業再開店舗施設構想も検討されており、復興の動きに合わせ、商店街のこれまでの実績と各店の強みを生かし、当組合では、ホームページを作り、新しい情報をWeb上に流すことや、毎月第3土曜日に「ナイトばざーる」を22年間継続実施しています。 また、大震災後の平成23年4月16日から南相馬市より管理をまかされ受諾団体として、「南相馬災害エフエム放送」を運営しており、地域コミュニティ再生に努めています。 さらに、復興イベントを継続実施することで商店街の賑わい創出につなげ、元気な姿を発信することで一人でも多くの住民が帰還できるきっかけになればと考えています。 さらに、経済産業省の支援を受けて、地域再生調査分析事業を行い、報告書をまとめました。 その中で、周辺区長はじめ、原町区内小学校8校、地権者、地域住民の方々、商業者が一体となり、各種アンケート調査、ワークショップを実施して熱い議論を重ね、中心部商店街の復興再生に向けた今後の方向づけまで行いました。 私たちは、もう一歩、ステップアップする意味で民間レベルの計画策定に取り掛かろうと考えています。 今回、「がんばる商店街30選」に選定されたことは、支えてくれている多くの方々に感謝申し上げますとともに、組合員はもとより、市内商業関係者、関係機関、市民のひとつの大きな励みになることと思います。 今後とも、皆様方のご支援、ご協力をお願い申し上げます。 2013.12
栄町商店街振興組合 理事長 片山 高明 |